中国の民主化 2013 1 26
オバマ大統領の演説や次期国務長官のケリー氏の話を聞いていると、
あるいは、欧州の指導者たちの言動を見ていると、
中国に対して民主化を求めているのは、
「ついに、世界で、たった一人になってしまった」と思いました。
私が、中国に対して民主化を求めているのは、
中国の人民の幸福を強く願っているからです。
欧米の指導者たちが、中国の民主化に関して、口をつぐんでいるのは、
中国に対して怯えているか、中国で金儲けしたいのか、どちらかです。
「革命、未だ成らず」
私が尊敬する政治家である「孫文」は、
弟子たちに対して、
「革命いまだ成功せず。
同志すべからく・・・・継続努力して目的を貫徹すべし」と言い残しました。
今の中国は、正に「革命、未だ成らず」という状態でしょう。
人民の貧困は放置されたままで、
貧富の格差は、アメリカを上回るほどになっています。
しかも、今の中国では、
富裕層になるには、ビジネスで成功するよりも、
共産党の幹部になった方が早いという状態でしょう。
もちろん、革命にも、いろいろな形式があるでしょう。
フランス革命のような「下からの革命」、
ミャンマーのような「上からの革命」。
いずれにせよ、もはや「革命論争」をしている場合ではありません。
まず、法治主義の徹底、
次に、党内の民主化、
そして、地方政府の民主化、
最後に、中央政府の民主化を進めるべきでしょう。
黒子と人権 2012 10 7
書名 2014年、中国は崩壊する
著者 宇田川 敬介 扶桑社新書
著者によれば、中国では、戸籍のない人は、
人間ではなく、「物」として扱われるという。
以下は、引用です。
ここで「戸籍のない人」と書いた。
これは、1979年に始まった「計画生育政策」。
いわゆる「一人っ子政策」に反して、
二人目、三人目が生まれたにもかかわらず、
出生届を出さないケースだ。
二人以上の子供を持つと、
親は昇級や昇進がストップし、
手当てが止められるなど待遇が悪くなる。
また、貧しい家庭では、
堕胎などの医療を受けずに、
二人目、三人目を産んでしまうケースもある。
彼らは「黒子」と呼ばれ、
大人になっても、戸籍や身分証明書がない。
なかには、要領よく、偽造の身分証明書を手にする者もいるが、
多くは、「人であって、人でない存在」になるのだ。
筆者が、中国の田舎道で交通事故に遭遇した時のことだ。
車が人を轢き、遠目に見ても、すでに死亡している様子だったが、
運転手が「自分は悪くない」と大声で騒ぎ立てている。
一方、被害者の友人らしき人は、完全に取り乱し、その場に泣き崩れている。
(中略)
30分ほどしてから警察が来た。
事故を起こした運転手と、
被害者の友人から事情聴取が始まった。
しかし、5分もたたないうちに、わが目を疑う光景を目にする。
警察官二人は、なんと遺体の手と足を持って、
田舎道の横にある崖の下に放り投げたのである。
運転手に「何があったのか」と聞くと、
彼は「黒子だった」と言う。
要するに「人ではなかった」のだ。
そもそも、(黒子は)この世に存在していないので、
轢いたところで罪にならず、
警察も「人」として扱うことはなかった。
この事故には、後日談がある。
加害者が被害者の遺族を訴え、審理一回で判決が出ている。
被害者の遺族に対して、
「管理している『物』が、管理不行き届きによって動き、
加害者の自動車を破壊した」として損害賠償を命じる判決が出た。
(以上、引用)
すべての人に人権はある。
そもそも、「一人っ子政策」は人権侵害ではないか。
子供を何人作るかは、国家が決めることではなく、夫婦が決めることである。
こんな未来が待っているとは、夢にも思わなかった。
今から、30年以上前だっただろうか。
何を思ったのか、父が中国人留学生を我が家に泊めるという。
日中友好協会の知人から頼まれたらしい。
しかし、祖父母は、猛烈に反対しました。
祖父母は、明治時代に生まれて、日清戦争を知る世代であり、
中国に対して偏見を抱いていました。
私は、祖父母の反対を押し切って、
父の提案に賛成したのです。
祖父母の冷たい視線を感じつつも、
私は、中国人留学生を守る「盾」になろうと思いました。
なぜ、私は、こんなことをしたのか。
中国の未来に懸けたのかもしれません。
あれから30年以上の月日が経ちました。
こんな未来が待っているとは。
男は、決して泣いてはいけません。
しかし、私の心の中は、涙で、あふれています。